中卒の俺が戻れるとしたらIT業界しかないが、景気は一向に回復する兆しを見せない
俺もそろそろ24歳になっていた。昔のネトゲ廃人だった頃は安易に自殺を考えていたが、
仕事をして、働いて金を貯め、新しいバイクを買いたかった
2010年になる頃、何気なくリクナビで求人を探していると、怪しげな会社の求人が目に付いた
NTTで懲りたはずだったが、給料が割と良く、おまけに学歴不問だった
面接を受けた会社は余裕で50社を超えており、俺はいつものようにスーツ姿で面接に行った
学歴を突っ込まれ、前の仕事を辞めた理由がバイク事故での解雇だと白状するとボコボコにされ、
俺の全人格と職歴を全否定に次ぐ否定をされ、途中で半泣きになったが、
一週間後にリクナビにメールが来てていた
一次選考を通過したらしい
面接の前日に呼び出されたので喫茶店に行くと、ニヤニヤした顔で一次面接の面接官が座っていた
「お前あかんわー。その若さで事故って解雇されたらほんま、あかんやろ」
と話を切り出され、
・お前は筆記試験(専門知識/SPI)の成績が応募者で一番良かった
・応募は100人くらい来たが、一次を通したのはお前ともう1人だけ
・学歴を気にしすぎ。コンプレックスはいまさら持つな
・とにかくその早口は直せ。テンパると早口になるから相手を焦らせる
など色々言われた後で、「お前を使いこなしてやるから二次受かって来いよ」と励まされた
二次面接も相変わらずの圧迫気味だったが、なんとか答えられたように思う
また二週間ほどして、内々定の通知が来た
法人向けの営業/NW構築を半々くらいにやっている部署だった
リーマン後で仕事がそんなに無い状態で、リーマン前は上司曰く「月60時間残業は軽かった」らしいが、
仕事はほぼ定時だった。法人向けの大規模なNW構築の案件がいくつか残っていたので、それを片づける毎日・・・。
上司と周囲にひたすらダメ出しされ、プレゼンの方法や客先との案件の進め方をスパルタでしごかれた
また、昔取得していたCCNAの上位資格であるCCNPも取得。これからの時代は無線だ!と上司が叫んでいたので、
国家資格の一陸特や、元請けとして工事する事もあると言うので、工事担任者DD1種も取得した
最初の試用期間6カ月は契約社員だったが、ついに人生初の正社員として雇ってもらえた
少しずつだが景気は回復してきており、入社1年後には案件も増えてきたのだが・・・。
2011年3月11日が納車だった。ホンダのCBR600RR、国内仕様、前回の教訓を生かしてABS付き
ホンダのディーラーいわく、フロントブレーキを握りこんでもABSで転倒はしないらしい
納車前の夜は楽しみで楽しみで眠れなかった。有給を取り、金土日と三連休でゆっくり楽しむつもりだった
朝の10時にバイク屋で車両を受領し、慣らしにと普段社用車を運転している道を走る。
14時ごろに日本橋の電子部品屋に立ち寄った時に、例の地震が起こった
すぐに上司から電話が掛かってきて、安否確認の後で会社に戻って待機しろと命令が来た
大阪は大した事が無かったが、東京のネットワーク機能が麻痺する可能性があり、
システムの大阪への切り替えを検討する必要があるため人手を確保したいとのこと
俺はバイクを自宅に置くと、親に連絡だけして出社した
とはいっても構築部隊で、日頃ルーターやスイッチを入れて設定しているような俺が何かできるわけもなく、
同僚とテレビを見ながら原子炉の状態をずっと見ていた
特に俺の抱えていた某メーカーのネットワーク再構築は構成を決定し、config設計段階まで進んでいたにも関わらず、
無期限の凍結になってしまい、これまでかけた工数がすべて無駄となってしまった
しばらくは案件が残った同僚のサポートに回っていたが、ついに上司から話を切り出された
「お前、ちょっと別の会社出向してこんか?」
その会社は、当時話題になっていた某電力会社のネットワーク系子会社で、元々地震のあるなしに関わらず、
比較的若手の俺を4月から出向させるつもりだったらしい
本当かよ、と思いながらも出向する事になった
職場は勤めているビルから100mほど離れたところで、昼休みに寂しかったら戻ってこいだのとさんざんネタにされ、
非常に近い職場異動をする事になった
前の担当者が欝で辞めたので(よくある事だ)無理解極まりないユーザーの滅茶苦茶な要求をいなしながら、
軽く手綱を取って軟着陸させ、その上で構成と設計を行う仕事
二か月ほど経ったある日、NTTの大阪のデータセンターに行く事になった
住所を見ると、自分が最初に勤めていた通信局だった。配線ベンダーにNW機器を運ばせて現場入りすると、
そこは小さなデータセンターになっていた。エレベーターや廊下は昔、夜中に鍵を開けに行った時と変わらなかったが、
爺さんたちと喋ったり、煙草の吸い方を教えてもらった事務所は完全に潰され、植木鉢とソファーが置かれていた
涙が出そうになった。巨大な交換機が置かれていた部屋にはラックが立ち並び、
完全に別の建物と化している。勤めている人間の顔も昔とは違っており、爺さんたちはもう退職したのか、
黒いジャンパーを着た見慣れないおっさんが受付をやっていた
今日になるまで黙っているが、ツーリング途中に大阪のすき家に立ち寄った時の事だ
カウンターでサラダと牛丼(並)を頼むと、どこかで見た顔の店員が水を運んできた
高校生の時に、俺を苛めていたクラスメートだった
黙っているのも何なので、「よう」と挨拶すると、相手は不審そうな顔をしてきた
「○○高校の○○じゃない? 俺、途中で学校やめた××なんだけどさ」
というと、相手は一瞬、きょとんとした顔をして、ああ、と小さくつぶやいた。
「久しぶり。ゼンショーの社員やってんの?」
と聞くと、相手はいや、バイトですよと言って、黙って牛丼とサラダを運んできた。
その時の俺の感情を説明するのは難しい。おそらく社会的な立場も年収も俺の方が上だが、
それで昔、自分を苛めていた相手を馬鹿にするというよりは、少し情けなくなった。
――俺をあんだけ苛めていたくせに、お前はすき家のバイトかよ。
何となくそんな感じだ。そいつは最後に「また来てね」と言って割引券をくれたが、
俺は店の外で千切って捨てた。風に吹かれて、割引券が宙を舞っていった。
次は無線LANを本格的にやるらしい。スタンドアロンではなく、コントローラベースの大規模無線LANだ
とりあえず某メーカーが、オフィスのフリーアドレス化を行いたいらしく、案件定義から参加してくれとのこと
俺の提示した案はことごとく蹴られ、紆余曲折の末得体の知れないシステムになってしまったが、
まあまあ仕事は順調に進み、機器設置後のサイトサーベイまでこぎつけた。1ヶ月間の試行で気を良くした先方のシス担が、
全社に展開すると言いだしたので俺の2012年はそれで終わってしまった。
バイクは走行距離5000kmを超えた。一度、11月に阪奈のヘアピンで倒し込み過ぎてスリップし、
カウルが割れて左のレバーが折れたが、幸いにしてhit-airまで装備していた俺は無傷だった
2013年は良い年である事を願いたい
今年の夏にバイクを買い換える(デイトナ675)予定だが、天変地異がまた起こらない事を願うばかりである
以上、ここまで読んでくれてありがとうございました
俺も頑張るわ
行動すれば良かれ悪かれ何かは返ってくる
何もしないと何も起こらないと思う
普通に頑張ってるやん。
閲覧注意?