鈴木清順の書いた脚本がゴミ過ぎて大塚がパヤオに「監督なんかやりたくねえよ」と電話した
そしたらパヤオが「じゃあオレがかわりにやるわ」と立候補
パヤオはその日のうちに手伝っていた高畑の赤毛のアンの仕事を辞職(メインスタッフなのに)して(高畑は激怒)会社も辞めて大塚のスタジオに移籍した つづく
引用元:https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1606590547/
電話の翌日からパヤオは大塚のテレコムってスタジオに来て
勝手に自分の机を作って鈴木清順の脚本を読みもせずゴミ箱に捨て
ものすごい勢いでカリオストロの城のイメージボード(水彩画)を描き出した つづく
1か月でカリ城のストーリーを完成させたパヤオは山崎晴哉って脚本家に脚本を執筆してもらうも出来上がりを読んで「つまんねぇな」と一蹴
結局脚本を無視して1か月かけて絵コンテを描くことになった
絵コンテを描きながらパヤオは赤毛のアンの筆頭原画(原画を描く量が最も多い)だった篠原征子っていう若手アニメーターを無理やり引き抜いてテレコムに入社させてしまった(クラリスは全部この人が描いた ジブリではハウルまで原画を担当し引退) つづく
それがバレて揉めて結局出向って形で協力してもらうことになった(友永っていう若手は冒頭のカーチェイスシーンを1人で描いた天才)
その翌月にもパヤオは赤毛のアンから新川信正っていう若手アニメーターを引き抜いてカリ城に参加させた(この人はテレコムには入社せずにフリーランスになった)
そしてその翌月にはパヤオは赤毛のアンで背景美術を描いていた山本二三っていう若手を無理やり引き抜いてテレコムに入社させてしまった(この人はラピュタやもののけ姫の美術監督をやった) つづく
映画は制作費の5億円すら回収できないほど大コケ(配給収入3億)しパヤオが次回作を作れる可能性はゼロとなった
アニメージュの編集者だった鈴木敏夫はパヤオに映画を作らせるために戦国魔城とかとなりのトトロとかもののけ姫とかいった作品の企画書を書かせるが
上層部は「原作がないものは駄目だ」と相手にもしてくれない つづく
> 上層部は「原作がないものは駄目だ」と相手にもしてくれない
無能オブ無能
これって上が無能だから全部自分でやったって考えれば凄いの一言
帰国した高畑にかわり新監督としてイメージボードを描きまくるがプロデューサーのゲーリー・カーツ(スターウォーズとかをヒットさせた人)と大喧嘩して速攻で帰国
無職となったパヤオに鈴木の上司で尾形というアニメージュの編集長がパヤオに漫画版ナウシカの連載をさせる つづく
>高畑がプロデューサーと喧嘩
あんたもかいw
ナウシカの1巻は初版7万部出したが5万部も売れず大コケとなったが鈴木敏夫は編集長の尾形と共に強引に映画化を推し進め徳間と博報堂の合同の会議にまで持ち込む
そのプレゼンの席でナウシカの出版部数を聞かれた鈴木敏夫は「50万部売れてます! 大ヒットです!」と大噓をついた つづく
唯一引き受けてくれたのがトップクラフトというアメリカのアニメを専門に作っていたスタジオでパヤオは日本のアニメを一度も作ったことがないというとんでもないスタッフを使ってナウシカを作らなければならない羽目になってしまった
そこにド素人の庵野秀明がアニメーターとして参加したいと面接にやってくる おわり
人望あったのかな
それか半ば脅したとか
パヤオの引き抜きはほぼ脅迫に近いもので
仕事が終わり深夜自宅に帰宅するときに引き抜きたいアニメーターの家をまわって玄関前で毎晩説得するというものだった
トトロの制作前には近藤喜文に作画監督をやってもらうために毎晩近藤の自宅のポストにトトロのイメージボードや絵コンテを投函し続けた
スゲーな
行動力オバケ
だからパヤオが育てた人材を高畑が赤毛のアンで使っていたわけで
本人たちからしてもやっぱりパヤオと仕事したかったから赤毛のアンを辞めたんだと思う
ここはタイムカードもなく出勤してもしなくてもいいという特殊なスタジオで田辺修はそれだけ優遇されていた
近藤喜文が亡くなったあと高畑勲の右腕としてかぐや姫まで活躍した田辺はジブリ所属なのにパヤオの全作品を自分から拒否して一切参加しなかった
そのことでパヤオは毎回激怒していたが高畑のお気に入りの田辺には何も言えなかった
だが鈴木敏夫によるとパヤオは何度も田辺修をクビにしようと鈴木に掛け合ってきていたらしい
田辺がいなければ高畑の新作が作れなくなるから鈴木は無視していたが仕事もせずに毎月給料をもらっている田辺にパヤオは憤慨していた
だがジブリが解散となり田辺は現在はローソンの店員として働いている
https://www.lawson.co.jp/lab/ghibli/art/20200101_ghibli.html
ジブリに所属して給料をもらいながらジブリの長編を全て断ってきた
かぐや姫は製作期間8年だが作画期間は8カ月だから実質13年間も何もせず給料をもらっていたことになる
その間に田辺修は結婚して子供まで生まれている
絵コンテ描いてんだろ
シナリオも絵コンテも1か月で書かれた
それまでの8年間は西村プロデューサーが毎日高畑の自宅に通って雑談していただけ
ブルーレイに特典映像で付いてるドキュメンタリー
ミヤコ蝶々が「順風満帆」をじゅんぷうまんぽと昔風に読もうとするのを高畑が何度もリテイク出して
「じゅんぷうまんぱん」ですとやり直させて空気がおかしくなってた
原画 田辺修
https://www.youtube.com/watch?v=GGTTFJeCWjA
パヤオはこれを見て「田辺ほど子供を観察するアニメーターはいない」と絶賛した
一方、鈴木敏夫は2018年のインタビューで、生前の近藤から「高畑さんは僕を殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」という言葉を涙とともに聞いたと述べている[11]。鈴木によると、葬儀の際に火葬場で関係者が待つ間、あるベテランアニメーターが「近ちゃんを殺したのは、パクさん(引用者注:高畑勲の愛称)よね」というつぶやきを漏らし、間を置いて高畑は無言でうなずいたという[11]。
大塚康生氏は当時の宮崎駿氏を次のように述懐します。
「彼は新人のくせに我が強く、とにかく生意気なヤツでした。
ところが、いざ絵を描かせるとずば抜けて上手い。
しかも集中力が高くて、仕事がすごく早いんですね。
ボクは内心彼に負けたと思いましたよ。
でも、ほかの人間にはただの生意気な若造にしか見えない。
だから、ボクは彼が周囲に潰されないように守ってやろうと思いました。
でも、そうしたら“大塚は宮崎をエコ贔屓している”とボクまで嫌われちゃってね(笑)。
一時は大変でしたが、次第に周囲も彼の実力を認めざるを得なくなりました」
このライターによると現在の宮崎駿の愛車はトライキングというオープンカーらしい
https://car-moby.jp/article/entertainment/general-entertainment/miyazaki-hayao-favorite-car/
もののけ姫はこうして生まれたでは保田道代を乗せてる
これは各カットの構図を決める絵を描く仕事
赤毛のアンと三千里では全話宮崎駿が一人でレイアウトを描いた
ハイジは1話あたり300カット前後でそれを週6日で割って1日50カット分(50枚)前後描く必要がある
1枚20分で描いたとしても休憩無しで17時間連続で描かなければ50枚描けない
これを宮崎駿は一日も休まず丸1年描き続けた(ハイジは正月の6日から年末の29日まで放映)
ハイジの制作スタジオはトタン葺きのバラック小屋で夏は当然エアコンなど無くうだるような暑さの中オーブンのようになった室内で汗だくとなって作業し
冬は体の芯まで冷え込む環境で練炭火鉢や七輪毛布やダンボールを駆使して暖を取っていた
これをハイジと三千里で丸2年続けた(家には帰らず机の下で眠った)
今でこそルパン映画の代表面しとるが当時は大爆死したんやろ?