色んな求人が並んでいたが、中でもNTT西日本の子会社の求人が目を惹いた
・学歴職歴不問
・コンピューター・ネットワークに興味のある方歓迎
・時給1400円~(能力に応じて)
・社会保障あり
こんな感じだったと思う。何よりも学歴不問というのが中卒の俺にはありがたかった
面接を受けるために、俺はチラシに書いていたホームページにアクセスして、
求人登録フォームに自分の年齢と簡単な自己PRを書いて送った
俺は自作PCをやっていたと自己PRに書いたおかげか、電話が掛かってきて面接に呼ばれ、
親に買ってもらった真新しいリクルートスーツを着て、履歴書持参で面接に臨んだ
面接では学歴については特に何も聞かれず、コンピュータに興味があるか?
紙に書かれたciscoのコマンドやCIDRで分割されたIPアドレスを見せられ、理解できるか等聞かれた
当然、俺は何も分からなかったが、面接を終えた夜に電話がかかってきて採用、と言われた
とにかく人が欲しい状態だったらしく、2週間後から出勤してくれと言われた
技術者を育成しよう、とかそんな感じの会社だった。時給はちゃんと1400円支払われ、残業も当然ない
俺はネットワークの事は何も分かっていなかったので、最初に派遣された職場は古い通信局だった
職員も爺さんしかおらず、仕事は定期的にコンピューターの画面を見てexcelのシートにデータを入れるのと、
施設の巡回だった。社会人経験が無いので最初は電話の取り方すら分からず、かなり叱られたが、
半年もすると慣れてきて普通に仕事をこなせるようになった
そのくらいで、派遣元の会社と面談があり、資格を何か取るようにと言われた
何でも取るだけで受験料が全額支給され、報奨金が3万円と資格手当が月に1万円出るらしい
金に目がくらんだ俺は、業務が暇すぎる事もあって仕事中にCCNAの勉強を始めた
仕事は夜勤を任されるようになり、夜中は俺一人しかいないため、いくらでも勉強できた
たまに電話がかかってきて鍵をあけに行くだけの仕事なので、勉強以外にもひたすらNDSの世界樹の迷宮をやっていたが、
大体2カ月くらいでCCNAを取得できた。ちゃんと報奨金が貰えて、その年のランクアップ試験にも受かり、
時給制契約社員から月給制契約社員になった。ボーナスもちゃんと出るのは素晴らしかった
・夜中にたまに電話が掛かってきて鍵を開けに行く
・定期作業のexcelへの入力
・それ以外は深夜アニメを見ているか携帯ゲーム機
という状態だったが、職場の爺さん達には最初こそ怒鳴られたが可愛がってもらい、
よくお菓子を貰ったり、煙草の吸い方を教えてもらったりした
気が付くと仕事を始めてから1年がたち、俺は23歳になっていた
そこはNOC- Network Operation Centerと呼ばれる施設で、ネットワークの監視や障害の対応をしているらしい
俺は今の職場が気に入っているし断ったが、派遣元の上司いわく、今いる通信局は交換機のIP化に伴い、
機器を大幅に削減するから俺の仕事はなくなるのだという
仕方ないので、俺はその新しい職場に通う事になった
お別れの日、一番厳しかった主査の爺さんが目を潤ませて頑張れよ、と肩を抱いてくれたので、
俺もつられて泣きそうになった。今でもその爺さんたちとは年賀状のやり取りをしている
中央に巨大なスクリーンが置かれ、エヴァのネルフ本部のような状態の広い部屋の中に、
オペレーターの座るデスクがいくつも並んでいる
スクリーンには担当区域のNTT回線の状況が映し出され、回線断があるとアラートが表示され、
トラフィックの状況がグラフで延々と流れている。それまでの鍵と、ダイヤル式の電子ロックで開け閉めしていた扉の代わりに、
職員には光彩/静脈の認証と、IDカードが配布されていた
前の職場のような爺さんたちは一人もおらず、緊迫した空気の中でみんな仕事をしている
俺の最初の仕事は、何かをする事ではなく、EGPs – Exterior Gateway Protocol – BGPについて覚える事だった
ASと呼ばれるIGPクラスタを束ねているBGPでネットワークの切り替え等の制御をおこなっているため、
これが理解できていないと仕事にならないのだという
回線の切り替えに伴う作業や工事手配を行う仕事で、酷い時は一日中とにかく電話しまくり、工程表を作って管理しないといけない
相変わらずNTTなので仕事は交代勤務の残業ゼロ、年12日の有給は100%消化(半強制)だったが、
今までの仕事と給料は変わらないのにキツさが跳ね上がったので、俺は正直辞めようかと思った
だが、そのころから興味の出ていたバイクを買うために、なんとか頑張って務めた
1年が過ぎ、2008年になる頃、読んでいたバイク雑誌にkawasakiの新モデルの情報が書かれていた
250ccでフルカウルらしい。二輪免許も取り終えたので、俺はそれを買う事にした
俺は納車されたばかりの250ccニンジャでツーリングに出かけた。とりあえず名古屋にでも行こうかと思い、
大阪から京都の木津に行き、そこから伊賀越えのコースを取って津まで抜け、後は海沿いを走って名古屋に行く
教習所のCB400SFと違い、250Rは非常に乗りやすく、速いバイクだった(当時はそんな気がしていた)
日頃の鬱憤を晴らすべく俺はアクセルを回しまくり、名古屋で一泊すると、次は東京でも行くかと思い東海道を走りだした。
岡崎を超えたあたりで、右側の車線を走っていた俺に、横から黒いワンボックスが近づいてきた
相手はミラーも何も見ず、ウインカーも出さずに車線変更をしてきたのだった
俺は慌ててブレーキを掛けたが、当時は運転技術が未熟で、パニックブレーキ状態になってしまった。
前輪がロックし、気付いた時には身体が宙を舞い、新車だったバイクが眼の前を滑って行った
どうにか生きているみたいで安心した。命に別条はなかったが、まともなライジャケやプロテクターを装着していなかったため、
俺の腕は片方が折れて、脚も複雑骨折していた
最初は馬鹿な事に、自分の身体よりもバイクがどうなったかを気にしていた
入院は一ヶ月ほど必要で、職場にはしばらく行けない。まあ誰かが代わりをやるだろうと思ってはいたが、
そんなある日、病院に派遣元の上司が訪ねてきた
俺は素直に、リハビリ等で2~3か月は職場には戻れない事を告げたが、
上司が持ってきたのは解雇通知だった。契約社員だった俺は、次の契約更新が無いと宣告された
仕事を探そうかと思った矢先に、アメリカのリーマン・ブラザースが破綻した
リーマン・ショックだった。IT業界に存在していた大勢の派遣・契約社員はあらかた解雇され、
おれのような中卒で、ロクなスキルも持たない人間が仕事を探せるようなご時世ではなくなった
テレビではトヨタの期間工が大量に解雇され、俺はその年の暮れを2年ぶりに無職で迎えた
バイクはほぼ全損に近く、500kmも走っていない状態で廃車になった
相手はそのまま逃げてった
というか、相手と俺は接触してないし俺の自損事故扱い
ナンバープレートを見る余裕も無かった・・・。
普通に頑張ってるやん。
閲覧注意?