親父が転勤で横浜から島根に引っ越したのがまずかった
島根の連中は性魂が腐っていた
学校も松江城のすぐ近くの学校だったが、指導方法が横浜の学校とは違いすぎていた
すげースパルタ教育で、やたらと教師が郷土愛とか竹島とか口にする
俺には合わなかった
引用元:https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1361458972/
小学6年はほとんど学校に行ってないし、中学も1年の時はずっと家にいた
中2になった時に、親父がまた引っ越すことになって俺は大阪に行く事になった
うるせー
黙ってろ
都会モンとか言われて苛められる事もなく、自由な感じで制服も無くて助かった
島根に長年いたせいで、娯楽とか本当になかったんだが別世界だった
で、中学の残りの期間はちゃんと通って卒業を迎えたんだ
進学校に入ったんだが勉強についていけず、クラスのいじめっ子グループに標的にされて、
手酷いいじめを受けた。女子の前でズボンを下ろされたり、ホースで水をかけられたり、
鞄をずたずたにされたりしたが俺は何とか耐えた、そして高三を迎えた
びっぷらでやれ
当時やってたカードゲーム繋がりで別のクラスだったが、何人か仲の良い奴らがいた
ところがある日、俺が廊下を歩いていると曲がり角の向こうから友達の声が聞こえた
「○○←俺の事、あいつキモいよなあ」
「クラスでも苛められてるんだろ? 一応友達やってやってるけど、あいつだけはないわw」
俺は目の前が真っ暗になった
全てがどうでも良くなり、次の日から高校には行かなくなった
自分の部屋から出る事も無くなった
当時βテストをしていたラグナロクオンライン(RO)というMMORPGにハマり、食事の時以外はずっとROをしていた
半年くらいが過ぎて秋になるころ、俺は出席日数の関係で学校を退学になる事になった
親は泣いていたが、俺はもう何も感じずにROを延々とやっていた
レアアイテムのカードを手に入れて武器を強化し、モンスターに与えるダメージを上昇させて、
より少ない攻撃回数で敵を倒す事が俺の人生のすべてになっていた
俺はただ「うぜえ」としか思わなかった。ひたすらROをやり続け、気付くとサーバーの中でもかなり大きなギルドに入っていた
当時はまだ対人戦などが実装されておらず、ひたすらチャットと狩りしかやることのないゲームだったが、
俺は非常に満足だった。ネットの世界は居心地がよく、自分を傷つける現実はそこには存在しなかった。
ROにも次第に飽きてきたので、俺はリネージュ2という新しいMMOを始める事にした
キャラはパンチラが見たくて女エルフにし、弓を選んで進める事にした
今となってはショボいグラフィックだが、親が自分のために貯金してくれていた郵貯の口座から
30万ほど抜いて組んだPCで、今までのROとは次元の違う美しい世界に俺は感動した
そのままレベルも上がってきたころ、俺は狩場で二人組の連中に声を掛けられた
「一緒に狩りしねえ?」
ソロに飽きていたのでパーティ申請を許可すると、俺たちは狩り始めた
狩りながら雑談をしていると、そいつらはリネージュという別のゲームから移ってきた事が分かった
ROプレイヤーとは違い、ZELとかDAIとか訳の分からない略語を使って喋りまくる
話の内容は半分も理解できなかったが、こいつらは「勝つ」ことを前提にプレイしていて、
今まで俺のやっていたROにはいない人種だと分かった
一緒に狩りをした連中はクランというプレイヤーの組織を立ち上げ、スタートダッシュに成功してサーバーでも大手の勢力になった
レべリングのため、試行錯誤しながら狩りを効率化し、クラン内での誰もが高効率な狩り方ができるように、手順を決めて一般化していく
今までやっていたROにはない概念だった。クラン内ではひたすら「改善」という言葉が飛び交い、「勝つ」ためのやり方を考える風土だった
楽しかった。今まで自分は、MMOの楽しみを10分の1も理解していなかったのだと思った
俺にとってはもうリネージュ2(以下リネ2)が自分の人生のようなものだった。「本当の人生、始まる」とかいう
キャッチコピーが当時の2chではさんざんネタにされていたか、俺にとってはその通りだったと思う
最初は怪しげな革の服とスカートを履いていた俺のエルフは、白銀の鎧に豪華な弓を携えるようになっていた
プレイヤーの「狩り方」も分かってきたので、集団で敵対クランをPKし、時には単独でプレイヤー狩りをするようにもなった
修正が入り、俺の弓はキャラとしては弱くなってしまったので、魔法使いのエルフを新しく作った
弟はネトゲにはまっていた俺に呆れながらもまかまか偏差値の高い大学に入り、たまに母親が誰もいない
深夜のキッチンで泣いている事は知っていたが、俺にはもう現実世界はどうでもよかった
俺のキャラクターは希少な装備に身を固め、したらばの晒しスレの常連になった
現実の俺は20歳になろうとしていた。成人式の日にも家の外には出ず、ひたすらリネ2をやっていた
その時の俺の人生計画としては、30歳になったら自殺しようと思っていた。また他人に苛められるリアルの人生で苦労するよりも、
楽しいネットの世界で時間を過ごして、飽きたら自殺でも何でもすればいい。本気でそう思っていた
最近2chにできたというVIP板に行ったのもその頃だった
凸と呼ばれる痛い個人サイトへの攻撃や、気に食わない企業への電話攻撃に参加した
これも非常に楽しかった。特に堂々といじめを自分のサイトに書いていた高校生をフルボッコにして、
そいつが顔を真っ赤にしながらサイト閉鎖した時は最高に胸がすかっとした
21歳になったころ、母親がニート・引きこもりのためのNPO団体に行くように執拗に勧めてくるようになった
行って話をしてくるだけでいいから、と言われたので仕方なく何度か行ったが、ネトゲの時間を奪われるのが非常につらかった
何回か行った後で、親に「もう一人で行くから」と嘘をつき、貰った昼食代でネカフェに行ってリネ2をプレイした
味をしめて数回それを繰り返していたある日、いつものようにネカフェから出て家に帰ると、母親が玄関に仁王立ちになっていた
泣いていたらしく目は真っ赤だった。俺の姿を見て、子供のように喚きながら俺の服を掴んできた
「あんた、何嘘ばっかりついてんの!!」「ちゃんと行くって言ったんだから行きなさい!!」「この先どうするつもりなの!!」
俺は母親のそんな姿を見た事はなかったし、わんわん泣いている姿を見て、なぜか非常に恐怖を覚えた
そのまま家出をした。銀行のキャッシュカードは持っていたので、しばらく暮らせると思った
仕方なく家に帰ると、母親は何も言わずに優しく迎えてくれたが、俺はどこか釈然としなかった
あれだけ楽しかったリネ2も、全く気分が乗らずにゲームにログインするだけの日々が続いた
良く周りの発言を見ていると、みんなゲームの話しかしていない。俺のように寝ている時以外はずっとログインして、
狩りやPKをしている奴が何人もいる。最初のころ、みんなを統率して試行錯誤し、「改善」や「標準化」とか言ってた連中は、
気付いたらみんな消えていた。そいつらの作ったやり方を何も考えずに踏襲しているだけの集団に、俺のクランはいつしか変わっていた
ゲームはやめよう、と思った。就職をしないとまずい気がして、ハローワークにとりあえず行く事にした
中卒で就ける求人は非常に限られているらしい。いわゆる土方仕事、清掃の仕事、警備の仕事などを薦められた
当時はまだリーマン・ショックの前で景気も良く、仕事は正社員でもいくらでもあった
だが、俺は自分がそんな力仕事に就けるわけもないと思い、ハロワを後にした
普通に頑張ってるやん。
閲覧注意?